探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-い-


イギリス推理作家協会(Crime_Writer's_Association)

1953年(昭28)に設立されたイギリスの作家団体。別名CWA。
J・J・マリックJ・シモンズによって設立された。イギリス探偵作家クラブと異なり、編集者や書評家も加入が可能。作家の利益保護や探偵小説の普及をはかることを目的としている。1955年(昭和30)にはクロスド・ヘッド・へリング賞として長編賞が設けられ、ゴールド・タガー賞と名を変えていった。そのほかの主な賞には、次席の作品にはシルバー・タガー賞が与えられ、探偵小説界に業績を残した作家にはダイヤモンド・タガー賞が与えられる。新人賞(ジョン・クリーシー賞)、外国作品賞、イギリス作品賞などもある。機関誌は「レッド・へリングズ」。


イギリス探偵作家クラブ(The_Detection_Club)

1928年(昭3)に設立されたイギリスの作家団体。
アイルズによって設立され、初代会長はチェスタトン。1936(昭11)年からはベントリーが務めた。イギリス推理作家協会とは異なり、入会はクラブが招いた作家に限られる。1931年(昭6)の「漂う提督」など、リレー小説の刊行をおこなう。


生島治郎(いくしま・じろう)

本名小泉太郎。1933年(昭8)、上海生まれ。早稲田大学英文科卒。大学時代に高井有一とともに同人誌「文学奔流」を刊行。他殺クラブ会員。筆名を考えたのは結城昌冶
1959年(昭34)に小泉喜美子と結婚するが、1972年(昭47)に離婚。
1955年(昭30)、早川書房に入社し、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集に従事。のち、編集長となる。
1962年(昭37)、「日本ミステリ・シリーズ」を企画し、結城昌冶に「ゴメスの名はゴメス」を執筆させるものの、ハードボイルドを日本に根づかないことに業を煮やして、1964年(昭39)、「傷痕の街」を刊行。
1965年(昭40)に刊行した「黄土の奔流」が、1965年(昭40)に第54回直木賞候補となる。
1965年(昭40)に刊行した「死者だけが血を流す」が、1966年(昭41)に第19回日本推理作家協会賞の候補となる。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「チャイナタウン・ブルース」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)に「オール讀物」に発表した「やさしい密告者」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「オール讀物」に発表した「最後の客」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)に刊行した「追いつめる」で、第52回直木賞受賞。
1968年(昭43)に「オール讀物」に発表した「死者たちの祭り」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「オール讀物」に発表した「甘い汁」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説新潮」に発表した「男一匹」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1980年(昭55)に「小説宝石」に発表した「殺しのデイト」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1984年(昭59)に「ショートショートランド」に発表した「遺書」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1985」に収録される。
1984年(昭59)、「片翼だけの天使」を発表。
1989年(平1)、日本推理作家協会理事長就任。
1989年(平1)に「小説NON」に発表した「惨侠」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成2年度」に収録される。
1992年(平4)に「オール讀物」に発表した「養子の修行」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
2003年(平15)、肺炎により死去。
日本のハードボイルドを立ち上げた作家のひとり。

日本長編推理小説ベスト99/


幾瀬勝彬(いくせ・かつあき)

1921年(大10)、札幌市生まれ。早稲田大学国文科中退。NHKや日本放送で番組制作にあたる。ゴルフの会の蟻這会会員。多岐川恭に師事していた。
1970年(昭45)、「盲腸と癌」を「推理」に発表。
1970年(昭45)、「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞候補作となり、「死を呼ぶクイズ」として1971年(昭46)に刊行。
1995年(平7)、死去。

幻影城掲載誌:7/


生田直親(いくた・なおちか)

本名生田直近。1929年(昭4)、東京生まれ。テレビドラマ脚本家でもあり、1956年(昭31)、近代映画社脚本募集に「凡馬の暦」が入選。
1958年(昭33)、童門冬二と共に同人誌「さえら」を出版。
1963年(昭38)、テレビドラマ「煙の王様」で第17回芸術祭文部大臣賞受賞。
1974年(昭49)、「誘拐一九七X年」を刊行。
1982(昭57)に「問題小説」に発表した「赤馬からくり」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和58年度」に収録される。
スキー三昧の傍ら、創作活動をおこなう。
1993年(平5)、肝硬変による静脈瘤破裂のため死去。

日本長編推理小説ベスト99/


井口泰子(いぐち・やすこ)

1937年(昭12)、徳島生まれ。放送大学教養学部卒。山陽放送でラジオドラマを執筆。
1967年(昭42)、「推理界」の編集人を務める。
1970年(昭45)、「東名ハイウェイバス・ドリーム号」で第1回サンデー毎日新人賞を受賞。
1972年(昭47)、「怒りの道」が第18回江戸川乱歩賞最終候補作となる。
1980年(昭55)に発生した富山長野連続女性誘拐事件を題材に、1983年(昭58)に「フェアレディZの軌跡」「脅迫する女」を刊行し、容疑者の男性を無罪とする説を打ち出したところ、1988年(昭63)、無罪の判決が出て話題になった。
1988年(昭63)に「小説NON」に発表した「「正史」は知らない」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。
2001年(平13)、肺癌により死去。


石上三登志(いしがみ・みつとし)

1939年(昭14)生まれ。評論家。福島県の磐城高校では、山野辺進と同級生だった。仁賀克雄に誘われ、ワセダミステリクラブのOB会に加入。
1962年(昭37)、「みすてりい」に「ミステリ評論対象の問題」を掲載。

幻影城掲載誌:1/別冊幻影城掲載誌:8/


石川喬司(いしかわ・たかし)

1930年(昭5)、愛媛県生まれ。東京大学仏文学科卒。毎日新聞社にて、「小説サンデー毎日」副編集長などを勤める。
1962年(昭37)、「岬の女」を「SFマガジン」に発表。
1963年(昭38)、日本SF作家クラブの発足に参加する。
1966年(昭41)に「ミステリマガジン」に発表した「極楽の鬼」が、1967年(昭42)に第20回日本推理作家協会賞の候補となる。
1968年(昭43)、「図書新聞」に発表した「ミステリー見本市」で探偵小説の評論活動をおこなう。
1977年(昭52)に「カッパまがじん」に発表した「次号予告」が1978年(昭53)に第31回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1977年(昭52)に刊行した「SFの時代」により、1978年(昭53)、第31回日本推理作家協会賞評論その他部門を受賞。
1978年(昭53)に「SFマガジン」に発表した「世界から言葉を引けば」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1979年(昭54)に「朝日新聞」に発表した「日曜日は赤」は日本文藝家協会の「現代小説'79」に収録される。
1981年(昭56)に「世界」に発表した「彗星伝説」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1988年(昭63)に発表した「ひとごろし」は日本文藝家協会の「現代の小説 1989」に収録される。
1992年(平4)に「問題小説」に発表した「逢いたくて」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。

幻影城掲載誌:7/45/ブラックホール/


石沢英太郎(いしざわ・えいたろう)

1916年(大5)、大連生まれ。SF作家の野阿梓は息子。
1963年(昭38)、「つるばあ」が第4回宝石短編賞佳作となり、「宝石増刊」に発表。
1966年(昭41)、「羊歯行」が第一回双葉推理賞を受賞し、「推理ストーリー」に掲載された。
1966年(昭41)、「接点」が第12回江戸川乱歩賞候補作となる。
1973年(昭48)に「小説宝石」に発表した「仁王幻想」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1974年(昭49)、「唐三彩の謎」が第27回日本推理作家協会賞の候補となる。
1975年(昭50)に「別冊小説宝石」に発表した「噂を集め過ぎた男」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1976年(昭51)に「小説宝石」に発表した「視線」が、1977年(昭52)に第30回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。また、この作品は「週刊文春」の77年「傑作ミステリーベスト10」の6位に選ばれる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1977年(昭52)に「小説宝石」に発表した「五十五歳の生理」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)に「小説推理」に発表した「裁決質問」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1978年(昭53)、「21人の視線」が「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1979年(昭54)に「小説宝石」に発表した「献本」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1982年(昭57)に「別冊小説宝石」に発表した「自首調書」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1984年(昭59)に「別冊小説宝石」に発表した「領置調書」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
1988年(昭63)、縊死自殺。

幻影城掲載誌:7/11/18/23/41/47/50/別冊幻影城掲載誌:4/6/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


石原慎太郎(いしはら・しんたろう)

1932年(昭7)、神戸生まれ。俳優、歌手の石原裕次郎は実弟。長男の石原伸晃は衆議院議員。次男の石原良純は俳優。一橋大学卒。
神奈川県の湘南高校在学中に、斎藤栄らと同人誌「湘南文芸」を発行。
一橋大学在学中に、「一橋文芸」を復刊し、1954年に「灰色の教室」を発表。
1955年(昭30)、「文藝手帖」同人となる。
1955年(昭30)、「太陽の季節」で第一回文学界新人賞を受賞し、1956年(昭31)には第34回芥川賞を受賞。“太陽族”“慎太郎刈り”という流行語を生み出す。
1957年(昭32)、「宝石」の座談会「現代のスリルを語る」に出席。
1958年(昭33)、「宝石」にハードボイルド「水中花」を発表。
1958年(昭33)、「若い日本の会」を結成。
1967年(昭42)に発表した「待伏せ」は日本文藝家協会の「文学選集33 昭和43年版」に収録される。
1968年(昭43)、参議院議員選挙に当選。
1969年(昭44)、小田実との共著「日本について語ろう」により第31回文藝春秋読者賞を受賞。
1970年(昭45)、「化石の森」にて第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1972年(昭47)、衆議院議員選挙に当選。
1975年(昭50)、東京都都知事選に落選。
1976年(昭51)、環境庁長官就任。
1980年(昭55)、日本外洋帆走協会会長就任。
1986年(昭61)、「生還」にて第16回平林たい子文学賞を受賞。
1987年(昭62)、運輸大臣就任。
1988年(昭63)、イエローリボン賞を受賞。
1995年(平7)に衆議員議員を辞職。
1999年(平11)、東京都知事就任。


一条栄子(いちじょう・えいこ)

本名丹羽栄子。旧姓北本。1903年(明36)、京都府生まれ。
1925年(大14)、オルツィをもじった小流智尼名義で「探偵趣味の会」に参加。
1925年(大14)、「映画と探偵」に小流智尼名義で「丘の家」を発表。
1926年(大15)、第一回サンデー毎日大衆文芸短編部門(乙種)に小流智尼名義で「そばかす三次」が入選。
1927年(大16)、一条栄子名義で、「戻れ、弁三」を発表。
1928年(昭3)、「猟奇」に参加。
丹羽賢と結婚後は筆を折り、京都商工会議所婦人部副部長となる。
1977年(昭52)、死去。


伊藤秀雄(いとう・ひでお)

1925年(大14)生まれ。黒岩涙香研究家。
1986年(昭61)に刊行した「明治の探偵小説」により、1987年(昭62)、第40回日本推理作家協会賞受賞。
1989年(平1)、「黒岩涙香-探偵小説の元祖-」により、第三回大衆小説研究賞受賞。

幻影城掲載誌:49/別冊幻影城掲載誌:10/幻影城評論研究叢書/


乾信一郎(いぬい・しんいちろう

本名上塚貞雄。1906年(明39)、アメリカのシアトル生まれ。青山学院商科卒。本名で執筆のほか、別名乾信四郎、吉岡龍。
1928年(昭3)から、「新青年」に翻訳やコラムを掲載。翻訳としては、フリーマン「オスカー・ブロズギー事件」(1933年(昭8))、クィーン「チャイナオレンジの秘密」(1950年(昭25))など多数。
1930年(昭5)、「新青年」編集に従事。1937年(昭12)からは編集長。
創作も1933年(昭8)に「新青年」に掲載された「豚児廃業」などがある。
2000年(平12)、死去。


井上良夫(いのうえ・よしお)

1908年(明41)、福岡県北九州市生まれ。父の量永は鳥井造船所で庶務課長をしていたことがあり、江戸川乱歩と同じ職場だった。また、長女のみつ代は江戸川乱歩の友人、鈴木茂と結婚している。
愛知県立五中では江戸川乱歩の後輩にあたる。中学時代には探偵小説同人誌「面影」を刊行。
1933年(昭8)以降、「ぷろふいる」に「英米探偵小説のプロフィル」「傑作探偵小説吟味」「アガサ・クリスティの研究」など、欧米作品の評論活動をおこない、戦前の海外作品の翻訳動向に大きな影響を与えた。
1932年(昭7)に「探偵小説」に森下雨村によって訳出されたクロフツ「樽」の訳に協力したほか、自らも1935年(昭10)に「赤毛のレドメイン一家」としてフィルポッツの「赤毛のレドメイン家」を翻訳。
さらに、クロフツ「ポンスン事件」(1936年(昭11))、ブッシュ「完全殺人事件」(1936年(昭11))、クイーン「Yの悲劇」(1937年(昭12))、スカーレット「二重密室殺人事件」(1940年(昭15))など古典的名作を多数翻訳。
1945年(昭20)、死去。

幻影城書庫:「探偵小説論」「探偵小説の本格的興味」「「陰獣」吟味」「「船富家の惨劇」評

幻影城掲載誌:7/11/32/34/別冊幻影城掲載誌:13/作家が語る探偵小説観/


色川武大(いろかわ・ぶだい)

1929年(昭4)、東京都新宿区生まれ。旧制第三中学校中退後、博打で生活を送る。のち、「探偵倶楽部」など、娯楽雑誌の編集者となる。別名井上志摩夫、御仲十。
1961年(昭36)、「黒い布」で第6回中央公論新人賞受賞。
1964年(昭39)、「白猫」同人になる。
1968年(昭43)、阿佐田哲也名義で「麻雀放浪記」を発表。麻雀小説を創始する。
1977年(昭52)、「怪しい来客簿」で第5回泉鏡花文学賞を受賞。同時に1977年(昭52)に第77回直木賞候補となる。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表した「ぐれはまちどり」は日本文藝家協会の「現代小説'77」に収録される。
1977年(昭52)に発表した「生家へ」は日本文藝家協会の「文学 1978」に収録される。
1978年(昭53)、「離婚」で第79回直木賞を受賞。
1978年(昭53)に「オール読物」に発表した「少女たち」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1978年(昭53)に発表した「血」は日本文藝家協会の「文学 1979」に収録される。
1979年(昭54)に「別冊小説新潮」に発表した「幻について」は日本文藝家協会の「現代小説'79」に収録される。
1979年(昭54)に発表した「存命」は日本文藝家協会の「文学 1980」に収録される。
1980年(昭55)に「オール読物」に発表した「走る少年」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1982年(昭57)、「百」で第9回川端康成文学賞を受賞。
1982年(昭57)に「オール読物」に発表した阿佐田哲也名義の「黄金の腕」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1983年(昭58)に「別冊文藝春秋」に発表した「風婚」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1984」に収録される。
1985年(昭60)に発表した「陽は西へ」は日本文藝家協会の「文学 1986」に収録される。
1986年(昭61)に「小説現代」に発表した阿佐田哲也名義の「三〇〇分一本勝負」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1987年(昭62)に「小説現代」に発表した阿佐田哲也名義の「鼠の散歩」は日本文藝家協会の「現代の小説 1988」に収録される。
1988年(昭63)、「狂人日記」で第40回読売文学賞小説賞を受賞。
1988年(昭63)に発表した「疾駆」は日本文藝家協会の「文学 1989」に収録される。
1988年(昭63)に発表した「赤い靴」は日本文藝家協会の「現代の小説 1989」に収録される。
1989年(平1)に「週刊小説」に発表した「オールドボーイ」と、阿佐田哲也名義で「小説現代」に発表した「泥足夜行」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1989年(平1)に発表した「道路の虹」は日本文藝家協会の「文学 1990」に収録される。
1989年(平1)、死去。


岩田賛(いわた・さん)

本名岩田賛(たすく)。1909年(明42)、岩手県盛岡市生まれ。父の岩田衛は鳥取や福島知事を務めた。
1932年(昭7)、結核療養中に「新青年」に翻訳を掲載。
1947年(昭22)、「砥石」で「宝石」懸賞に入選し、「宝石」に掲載。。
1948年(昭23)に「黒猫」に発表した「風車」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1948年(昭23)、「絢子の幻覚」が「旬刊ニュース」に掲載され、旬刊ニュース新人コンクール読者投票で第三位獲得。
1948年(昭23)、「探偵小説新人会」を高木彬光香山滋山田風太郎島田一男楠田匡介らと結成。
1950年(昭25)、カーター・ディクスンの「黒死荘殺人事件」を「別冊宝石」に訳す。
1985年(昭60)、死去。

幻影城掲載誌:41/


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